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現在、鹿児島県鹿児島市の桜島では噴火警戒レベルが引き上げられた事による、住民の方々の避難生活が行われています。

鹿児島県の桜島では18日も火山性地震が発生しているほか、山体が膨張した状態が 続いています。
8月15日から始まった避難生活の対象となっているのは主に高齢者の方が多く、持病を抱えている方などもいて避難生活は多大なストレスとなっているようです。
自然災害への警戒から公的機関による対応・対策が取られるのは当然なのですが、それによる弊害や住民の方の不満も生まれます。
避難生活の状況と、住民の方の心境はどのようなものになっているのでしょう?





 

桜島と川内原発の距離わずか52km!

桜島の大噴火を恐れている人は鹿児島の地元住民を始め、宮崎でも怖いという人はいるでしょう。でももっと怖いのわずか52kmに川内原子力発電所があるということです。

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大正大噴火のレベルだったら?

100年前に櫻島が大噴火「大正大噴火」を起こしていますが、果たして川内原発に影響はないのでしょうか。大量の灰が降りかかることは間違いないでしょうね。

 

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桜島大噴火の歴史

 

桜島西部の横山にある城山(横山城跡)は古い時代に形成された台地であり、少なくとも約11万年前には陸地として存在していたと考えられているが、残りの大部分は地質学的に最近の火山活動によって形成された非常に新しい火山である。
約2万9千年前、姶良カルデラで発生した入戸火砕流と姶良Tn火山灰の噴出を伴う巨大噴火(姶良大噴火)によって現在の鹿児島湾の形が出来上がった(右衛星写真の鹿児島湾奥部、桜島より上の部分に相当)。

桜島はこの巨大カルデラ噴火の後に火山活動を始めた。約2万6千年前、鹿児島湾内の海底火山として活動が始まり、安山岩やデイサイト質の溶岩を流出しながら大きな火山島を形成していった。

約1万3千年前には北岳が海上に姿を現し、この頃に北岳から噴出した火山灰の地層は九州南部に広がっておりサツマ火山灰と呼ばれている。

噴火活動は約4500年前から南岳に移行した。

一方、中岳の活動史は十分に解明されていない。

 

有史以降の噴火
30回以上の噴火が記録に残されており、特に文明、安永、大正の3回が大きな噴火であった。

『薩藩地理拾遺集』においては708年(和銅元年)、『薩藩名勝考』においては716年(霊亀2年)、『神代皇帝記』においては717年(養老元年)、『麑藩名勝考』や『三国名勝図会』においては718年(養老2年)に桜島が湧出したとの説が紹介されている。現実的にはこの年代に桜島が形成されたとは考えられず、これらの説は桜島付近で起きた噴火活動を指すものとされる。
764年(天平宝字8年)から766年に海底からの噴火があり『続日本紀』の764年の箇所に「麑嶋」(鹿児島)における噴火の記述が残る。記述によれば、鹿児島湾海上において大音響や火焔とともに3つの島が生成したとされている。

島の詳細な位置は明確になっていないが桜島に関連した火山活動の一つと考えられており、「麑嶋」(鹿児島)が桜島を指しているとする説と、広く薩摩国と大隅国の境界地域を指しているとする説がある。

地質学的な調査により小林(1982)は、最初の活動で鍋山が出現し次いで長崎鼻溶岩が流出したとしている。

931年頃(承平年間)に書かれた『和名類聚抄』において、大隅国囎唹郡に「志摩」(島)という地名が登場する。

これが具体的な地域としての桜島を指した最古の文献である。
766年から1468年までの約700年間は歴史記録に記述が残されていないため噴火が無かったと考えられていたが、その後の調査により、950年頃に大平溶岩を形成する山頂火口からの噴火や、1200年頃の活動で中岳が形成されたとする研究が有る。

 

文明大噴火

1468年(応仁2年)に噴火したが被害の記録はない。

その3年後、1471年(文明3年)9月12日に大噴火が起こり、北岳の北東山腹から溶岩(北側の文明溶岩)が流出し、死者多数の記録がある。

2年後の1473年にも噴火があり、続いて1475年(文明7年)8月15日には桜島南西部で噴火が起こり溶岩(南側の文明溶岩)が流出した。

さらに翌1476年(文明8年)9月12日には桜島南西部で再び噴火が起こり、死者多数を出し、沖小島と烏島が形成された。

1509年6月2日(永正6年5月15日)、福昌寺の僧天祐が南岳山頂に鎮火を祈願する真鍮の鉾を立てた。

この鉾は後に風雨のために折損したため1744年11月27日(延享元年10月24日)に銅の鉾として再建されている。

戦国時代において桜島は島津氏の領地となっており、鹿児島湾を挟んで対峙していた肝付氏との争いの最前線として各所に城塞が築かれ兵が配置されていた。

1571年12月6日(元亀2年11月20日)には肝付氏、禰寝氏、伊東氏の連合軍が100艘余りの船で桜島の各所を攻撃した。これに対して島津家久は横山、脇、瀬戸などに陣を構えて応戦している。

 

安永大噴火

歌川広重 『六十余州名所図会 大隅 さくらしま』 1853年


1779年11月7日(安永8年9月29日)の夕方から地震が頻発し、翌11月8日(10月1日)の朝から、井戸水が沸き立ったり海面が変色したりするなどの異変が観察された。

正午頃には南岳山頂付近で白煙が目撃されている。

昼過ぎに桜島南部から大噴火が始まり、その直後に桜島北東部からも噴火が始まった。

夕方には南側火口付近から火砕流が流れ下った。夕方から翌朝にかけて大量の軽石や火山灰を噴出し、江戸や長崎でも降灰があった。
11月9日(10月2日)には北岳の北東部山腹および南岳の南側山腹から溶岩の流出が始まり、翌11月10日(10月3日)には海岸に達した(安永溶岩)。

翌年1780年8月6日(安永9年7月6日)には桜島北東海上で海底噴火が発生、続いて1781年4月11日(安永10年3月18日)にもほぼ同じ場所で海底噴火およびそれに伴う津波が発生し被害が報告されている。

一連の海底火山活動によって桜島北東海上に燃島、硫黄島、猪ノ子島など6つの火山島が形成され安永諸島と名付けられた。

島々のうちいくつかは間もなく水没したが、最も大きい燃島(現・新島)には1800年(寛政12年)から人が住むようになった。
噴火後に鹿児島湾北部沿岸の海水面が1.5 – 1.8メートル上昇したという記録があり、噴火に伴う地盤の沈降が起きたと考えられている。

一連の火山活動による噴出物量は溶岩が約1.7立方キロメートル、軽石が約0.4立方キロメートルにのぼった。

薩摩藩の報告によると死者153名、農業被害は石高換算で合計2万3千石以上になった。
幕末においては瀬戸に造船所が設置され、日本で最初の蒸気船「雲行丸」(江戸で建造との説あり)が建造された。

1863年(文久3年)の薩英戦争では、袴腰(横山)と燃崎に砲台が築かれた。

大正大噴火

大正大噴火

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大正大噴火で火山灰に覆われた鹿児島市街(1914年)
火山 桜島
年月日 1914年1月12日 – 4月
噴火様式 プレー式噴火(英語版)
火山爆発指数 4
影響 死者58、傷者112、焼失家屋2,268[35]

桜島の埋没鳥居。黒神集落のこの鳥居は、1914年噴火で上部をわずかに残し噴石や火山灰に埋もれてしまった(約2m)
1914年(大正3年)1月12日に噴火が始まり、その後約1か月間にわたって頻繁に爆発が繰り返され多量の溶岩が流出した。

一連の噴火によって死者58名を出した。流出した溶岩の体積は約1.5km3、溶岩に覆われた面積は約9.2km2、溶岩流は桜島の西側および南東側の海上に伸び、それまで海峡(距離最大400m最深部100m)で隔てられていた桜島と大隅半島とが陸続きになった。

また、火山灰は九州から東北地方に及ぶ各地で観測され、軽石等を含む降下物の体積は約0.6km3、溶岩を含めた噴出物総量は約2km3(約32億トン、東京ドーム約1,600個分)に達した。

噴火によって桜島の地盤が最大約1.5m沈降したことが噴火後の水準点測量によって確認された。この現象は桜島北側の海上を中心とした同心円状に広がっており、この中心部の直下、深さ約10kmの地中にマグマが蓄積されていたことを示している

 

現在の桜島噴火の可能性は?

まず桜島が噴火する可能性の変動についてですが、8月17日も火山性地震は続いており、マグマは上昇していて予断を許さない状況である事は変わりがありません。

気象庁によれば、いつ噴火してもおかしくない状況との事です。

もしも噴火した場合、火口から3kmの範囲では火砕流や噴石による被害が予想され、厳重な警戒を呼びかけています。
また桜島の特徴として、地殻変動が停滞を経て噴火する事が多いとの事。ここ数日はこの地殻変動の停滞が見られたため、噴火の可能性が高まっているという見解が示されています。

 

高齢者を中心とした住民の方の避難先とその生活

今回の避難勧告によって避難した住民の方は、島内の古里町と黒神町の一部で51世77名となっています。避難先は島内の2か所の施設に分けられています。

島北部は「さくらじま白浜温泉センター」という施設、南部は「高齢者福祉センター東桜島」という施設です。

 

どちらの施設も環境としては決して悪いものではなく、高齢者の方が中心となった避難対象者の方々の健康を維持出来るよう、職員の方々による適切な対応が行われています。
しかし、やはり避難しての生活はご高齢の体には堪えるようで、寝床が変わった事で一睡も出来ないまま夜を過ごす方などもおられるとの事です。
若い方でしたら特に問題なく避難生活を送れるとは思うのですが、80歳を超える女性の方なども多くいらっしゃるようで、やはり相当なストレスとなってしまっているのでしょう。
さらに避難は2,3日で終わるものではなく、1週間以上という見込みも立ってしまっている状況です。
この状況に避難された方々からは「こんな生活がいつまで続くのか」「避難生活が長引けば、持病の薬が無くなってしまう」などの声から、「桜島は見る限り普段と変わらないのに、なぜこんな生活をしなければならないのか」という、市や気象庁による警戒の判断に不満を漏らす方も多く出て来ているそうです。
かといって、市からすればもしも噴火した場合に避難させていなかったらとんでもない事になってしまいます。
両者の立場から意見が対立してしまう構図にはなっていますが、やはり最悪の事態に備える事がベストでしょう。

 

自然災害の可能性と、それによる市民生活への影響

自然災害の中でも噴火という事で連想させられるのが、今年の春から夏にかけて噴火警戒レベルが引き上げられた箱根の件です。

 

今回の桜島と同じく、気象庁や市の観測や対応は常に最悪の事態が想定され、住民の方々の安全第一を考えたものとなっています。
しかし、箱根に関しては観光業への大ダメージが併発してしまう事態になりました。
住民の方からすれば安全な地域も広くあるのに、箱根全体が非常に危険な状態であるかのような報道から、旅行客が大幅に減少してしまうという事になったのです。
桜島の方ではこういった警戒による弊害は、避難住民の方々の健康面や精神面に於けるものが主となっていますが、飲食店を経営している方なども含まれており、個人レベルの経済面でダメージは出ています。
市や国の考えと住民の方の認識に相違があるために、不満が生まれてしまっているように思えます。
危機管理の意識をより同調させる事も、避難勧告と同様に必要不可欠な事なのでしょう。
長引く避難生活で高齢者の方が体調を崩してしまわないよう、一刻も早い沈静化を祈っています。