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ヘイトスピーチとは?

 

憎悪に基づく差別的な言動。人種や宗教、性別、性的指向など自ら能動的に変えることが不可能な、あるいは困難な特質を理由に、特定の個人や集団をおとしめ、暴力や差別をあおるような主張をすることが特徴。欧州にはヘイトスピーチを禁止する法律を設けている国が多いが、日本にはこれを特別に取り締まる法律はない。2013年に入り、日本ではインターネット上やデモで近隣諸国に対するヘイトスピーチが急増しており、問題視されている。





引用元:コトバンク

 

特定の人種や民族、宗教などの少数者に対して、暴力や差別をあおったり、おとしめたりする侮蔑的な表現のことを言う。差別的憎悪表現とも呼ぶ。国内では、東京・新大久保などで在日韓国・朝鮮人に向けて「出て行け」「殺せ」などと連呼する街頭活動が繰り返され問題となっている。

引用元:コトバンク

 

ヘイトスピーチの基準に困惑する日本

特定の民族や人種を差別するヘイトスピーチが日本国内に横行しているということで、「人種差別撤廃施策推進法案」で禁止することを国会で審議されたのですが、見送られることになりました。「表現の自由」との両立が難しいこと屋ヘイトか否かの判断基準も難しいことが理由です。

この事により国際関連の法律面の整備が何かにつけ遅れていることを外に示してしまったようです。

ヘイトスピーチに法的規制をすれば、今度は、法に反していなければよいということでヘイトスピーチを堂々とする人たちも出てくるでしょうし、法に違反しなければ正義と言い出す人たちも出てくることも考えられます。

片や、他国籍学校からは、日本にあるのに日本からの援助がないことをヘイトスピーチだと言われたりもしています。このヘイトスピーチの意味するところは一体何だと困惑します。

ヘイトスピーチと表現の自由

表現の自由が犯されると言いますが、自由には責任が付き物であるのは、人として当たり前の認識です。

人は罵倒する悪意のある言葉の基準を自分の中に持っているはずなのです。人種や文化の違いで交われないのは構わないのです。


異文化や異人種を尊重することが国際的視点を持つ、優れた地求人と言えます。それが欠けると、ヘイトスピーチなのに認めず反省をしないとか、そこにつけこんで外国側が援助しろなどという混濁状態になってしまうのでしょう。

ヘイトスピーチの基準は人心にある

日本に住むアメリカ人の白人の方たちの中には、「アメリカは人種差別だけでなく、何系なのかでも上下をつけられることが多いので住みにくいが、日本の人たちは温かい。」と語る人もいます。

単一民族の国だから排他的要素を持っていると言われますが、単一だから人種としての誇りもあり、他国の人種に対しても敬意を示せる国であるはずです。

どさくさに紛れない認識を持つこと

日本に住む外国人タレントが公衆トイレを使おうとしたら「ジャパニーズオンリー」と言われたとツイッターで呟かれていました。

自分が誰か解った途端に謝り、ファンであると言ってくれたということでした。

「外国人の非常識に閉口して困っておられる商売人の方だから、気持ちはわかる」というようなことを付け加えられていましたが、互いに憎悪する気持ちがヘイトスピーチを起こしたり、ヘイトスピーチをされたとねじこまれたり状態で、何もかもがどさくさに紛れて、憎しみ合うことばかりが膨れ上がり、人間としての認識を忘れて、ヘイトスピーチという言葉が都合のよい大きな武器となり、独り歩きしているようにも感じます。

 

ヘイトスピーチを法案化するよりも

政府は、ヘイトスピーチを法案化して取り締まるよりも、日本の中で起こる、明らかな人権侵害と思われる人種差別を個人のことと考えず、公に取り上げては国民に訴えるという姿勢の方が大事ではないかと考える人たちも多いようです。

法案を作り杓子定規で計ろうというのは、そこに引っ掛からなかったら関係がないことになります。国としてみっともないとも言えます。

国際的視野と常識を持つこと

日本は島国であり、閉鎖的な気質の人たちが多く、排他的であるとも言われていました。それは、遠い昔であり、今では国際的で客観的な視点でものごとを見ることができる人たちが増えています。これからも更に増え続けるでしょう。

少しでも多くの人たちが感化され、地球規模の道義的な視点を持つことができるようになれば、いつか解決ができることだと信じたいものです。

世界の中でも優れた法治国家としての誇りを持っている日本です。その土台が日本人の道徳意識にあるからこそ維持できていることです。人種についての意識も、世界に誇れる国でありたいものです。