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祖父のやりかけの偉業を実現できた満足感?

安保法案の集団的自衛権実現に向けて、わが道をゆく安倍首相を多くの反対派が抗議をして、国会前のデモ行進がやまぬ日々ですが、祖父の岸信介の長年のやりかけの偉業を自分が成し遂げたと満足げに落ち着いた様子でいます。





デモをしり目に「国民の意見の表現のひとつの在り方。表現の自由。」と言い、祖父が日米安保法案を決定した時のような物々しい警備強化を行わずに平常心を保ち、公私ともに予定変更なく遂行しているという安倍総理の姿には、誇りすら感じられると言う人もいます。

 

尊敬していた祖父がやりかけにしていて、あの世で気にしているであろう安保法案を実現させることで、祖父と自分が重なったという満悦した思いが満ちているのでしょう。

 

しかし、今回の安保法案は、反対に岸信介の遺志を裏切ることになったのではないかともささやかれています。

 

集団的自衛権と憲法9条

反対派の意見は、内容があいまいであり、近隣諸国との関係のバランスも悪い中、他国を複数の国で守る中に入り込んでもうまくいかないだろうと危惧されることやアメリカを守るにあたり、個別の自衛権でも十分であるというところですが、根本のところは、立憲主義に反しており、憲法9条を守っていないというところを強く訴えています。

 

憲法により、守られている私たちの生活が、無理やり身勝手な解釈で憲法をゆがめられる行為になるからです。

岸信介氏もまた、日米安保条約を強行した時に「自分の取り組んでいる日米安保は集団的自衛権の行使ではない。なぜなら、海外派兵は憲法で禁じられている」と周囲の人たちに話していたというのです。

 

しかし、その意に反して、安倍総理は、北朝鮮の挑発や中国が日本の海域を平気で侵すことなどの深刻な事態を、今までの日米安保条約では効果がないと判断して、今回の安保法案を強行採決に導いたようですが、ストッパーになるはずの憲法9条の解釈を変えることで、アクセルのみの安保条約となってしまったことになります。

より強固でパワーのあるお守りを必要と考えるのは一国の首相として当然のことかもしれませんが、憲法をゆがめた不安は賛成派の中にもあるようです。

祖父 岸信介を超えた満足感?

安倍総理が、日本人を載せたアメリカ艦船が攻撃を受けたら、防衛のためにアメリカとともに戦うことができるという例を出し、納得のいかない議員たちを鎮めたことは有名です。

「集団的自衛権により抑止力が上がるため他国からの武力行使の衝突を回避できる、積極的な平和主義の具体化」が安保法案と信じて止まない安倍総理です。

 

支持率が下がろうと、自分が政治生命を失おうと構わないと潔い態度を見せています。

自分の中に、あの時自分に何が起ころうと恐れずに日米安保を決議した祖父の勇敢さに今の自分が近づいたという気持ちなのでしょうか。

祖父が憲法を大事にし、わざわざしなかったのかもしれない集団的自衛権を強行することは、彼にとっては裏切りではなく、祖父を超えたという考えに到達しているのかもしれません。


 

そして、祖父に手を合わせながら、時代の変化に応じた日本を守る安保制定を頑張ったと伝え、よくやったという天の声を聴いたつもりでいるのかもしれません。

 

岸 信介(きし のぶすけ)はどんな人?

岸 信介(きし のぶすけ)
岸 信介(きし のぶすけ)

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 – 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。

東京帝国大学卒業後、農商務省、商工省にて要職を歴任。建国されたばかりの満州国では国務院高官として満州産業開発五カ年計画を手がけ、「弐キ参スケ」の一角を占める。その後、日本の商工省に復帰し、次官就任。東條内閣では商工大臣として入閣し、のちに無任所の国務大臣として軍需省の次官を兼任する。昭和戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された。

東條英機内閣の大東亜戦争開戦時の重要閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留された。しかし、即時停戦講和を求めて東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者であることなどの事情が考慮されて不起訴のまま無罪放免されている。他の戦争指導者同様、公職追放は免れなかったが、それも東西冷戦の影響による米国の方針変更によりサンフランシスコ講和条約発効とともに解除される。

政界に復帰し、弟の佐藤栄作も属する吉田自由党に入党するが吉田茂と対立して除名、日本民主党の結党に加わり、保守合同で自由民主党が結党されると幹事長となった。石橋内閣にて外務大臣に就任。首班石橋湛山の病気により石橋内閣が総辞職すると、後任の内閣総理大臣に指名され、日米安保体制の成立に尽力し、60年安保の苦境も乗り切った。首相退任後も政界に影響力を持ち、自主憲法制定運動に努めた。

位階は正二位、勲等は大勲位。皇學館大学総長(第2代)なども務めた。

第61・62・63代内閣総理大臣佐藤栄作は実弟であり、第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三は岸の外孫にあたる。

引用元:ウィキペディア

 

 

父方祖父の岸信介と母方祖父の安倍寛

安倍首相は、岸信介の名はよく口にしますので、おじいちゃんコンプレックスとも言われ続けました。しかし、それとは真逆の姿勢をとっていた母方の祖父の安倍寛のことは、一言も言わないということです。岸信介は東条英機内閣を支えた軍事一辺倒の人でしたが、安倍寛は東条英機の戦争主義を嫌い、とことん反発をしていましたから、軍部に嫌われながらも政治畑を去りませんでした。様々な妨害や警察の圧力、賂などにも屈せず、推薦をしてもらわず当選し、政治家としての正義を貫いた人だったということです。この祖父のことを口にしないのは、今後の日本がどうなるのか、実は一番見えないのは、それを強行した安倍総理であり、だれよりも不安を覚えており、安倍寛おじいさんにうしろめたさを感じているのかもしれません。